筆の先の罪―キャンバスにほどかれた私― (Page 2)
「どうして……そんなに、私に執着するの?」
スカーフの下で、沙月は震える唇を噛んだ。
答えが怖かった。けれど、問いかけずにはいられなかった。見えないというのは、こんなにも無力で、こんなにも敏感になるものなのか。
すぐ近くで、微かな呼吸が揺れた。数秒の沈黙の後、照真の声が低く、しかしどこか甘やかに耳をくすぐった。
「だって……先生は、誰にも見せてない顔を、僕だけに見せてくれるから」
その囁きは、まるで心の奥に刷毛を滑らせるようだった。
――誰にも見せていない、顔。
自分でも知らなかった顔を、彼は引き出そうとしている。いや、もう引き出されているのかもしれない。
シャツのボタンが、一つ、また一つと外されていく。指先は驚くほど滑らかで、無駄のない動きだった。冷たくない、でも容赦もない。
まるで、着衣を脱がせるのではなく、“役割”を剥がしているかのように。
「先生、今日もきれいですね」
背後から伸びた手が、そっとブラウスの襟を開いた。
ふっと空気が鎖骨に触れたかと思うと、そこに柔らかなキスが落ちた。筆先がキャンバスに最初の色を置くように、慎重で、けれど確かな熱を持った接触。
「服従って……誤解されやすいけど、自由の一形態なんですよ」
「……自由?」
「ええ。“好きにして”って、相手を信じてるから言えるんです。信じてもない相手には、身を委ねられない」
言葉が、耳の奥でじわじわと溶けていく。
それは命令ではなく、甘やかな呪文だった。
彼の声のトーンが変わるたび、沙月の背中に粟立つような感覚が走った。
「先生の顔が……だんだん、欲望に染まってきた」
「……どういう顔よ」
目隠しの奥で、視線を逸らすように顔を伏せる。
「欲望を受け入れた女の顔。恥じてるくせに、もっと求めてる顔」
照真の声が、確信に満ちていた。
それを聞いた瞬間、頬を一筋の汗が伝った。熱のせいか、羞恥のせいか――いや、きっとその両方。
唇がわずかに開き、呼吸が浅くなるのを自分でも感じた。
唇からこぼれそうになった吐息を、なんとか飲み込む。けれど、照真はそれを逃さなかった。
「まだ、我慢してる?」
「……そんなの、当然でしょ」
苦し紛れの反論。
理性の砦にしがみつこうとしたその言葉さえ、かすかに震えていた。
「なら――我慢しないようにしてあげますよ」
低く、甘く、耳元に落ちたその声は、まるで絵の具の滴が静かに紙を滲ませていくようだった。
そして、太ももに指先が触れる。
ストッキング越しに伝わる微かな圧。
その動きは、ただ撫でているだけではない。まるで筆を動かすように、一定のリズムで上下に動いている。
「……っ」
かすかな声が、喉の奥から漏れそうになった。
「ほら、ここ。さっきより、熱くなってる」
彼の指先が、ストッキングの上からほんのわずかに押し込まれるようにして止まり、その場でゆっくりと円を描く。
「“欲しくないふり”、上手ですね」
唇に触れた言葉責めは、責めというより、剥き出しの観察だった。キャンバスを睨むような目で、彼は彼女を感じ取っている。
「恥ずかしいですか?」
「……当然、でしょう」
「じゃあ……もっと、恥ずかしいことしてみましょうか」
その一言に、心の奥がじくりと疼いた。
なのに、不思議と恐怖ではなかった。
支配ではなく、肯定される感覚――
そう、“見られる”ことでしか得られない、欲望の輪郭。
沙月はスカーフの奥で目を閉じた。
この夜の続きを、もう拒む理由が見つからなかった。
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