恋愛未遂のワンナイト (Page 5)

「あ、れ?…起きましたか?」

「はい。ごめんなさい、もう帰りますね」

「あ、あの…連絡先…」

引き留めようとする彼の声は聞こえないふりをし、扉を閉めた。

服が乱れたままの彼が追いかけてこれないのは分かっていたので、そのままタクシーを拾い自宅に向かった。

それ以降、そのバーには行っていない。

でも、今、私の横に居るのはあの時のマスター。

*****

「ここが給湯室です。緑茶、紅茶、コーヒーはここにありますので自由にどうぞ。ウォーターサーバーもここにありますから…結城さんもマグカップとかタンブラーとか用意した方がいいですよ」

「はい、花村さん…ありがとうございます」

平静を装い、彼に社内の説明を続ける。

(大丈夫…何も言ってこないって事は彼は忘れてるんだ、大丈夫…多分…)

言い聞かせるように心の中で繰り返した。

「こっちは会議室です。使用は基本的に予約制です。急な利用もできますが、使用の際はこのプレートを使用中に必ず変更してくださいね?」

「あの、この中は見る事できますか?設備とか気になって」

彼の言葉に扉を開け、中に入る。

「ここは一番広い会議室で、プロジェクターとかもあって使う機会は多いと思いますよ」

こっちが…と話を続けようとすると、鍵を閉める音が響いた。

ビックリして振り返ると彼がまっすぐ私の顔を見ていた。

「絵美さん…俺の事、覚えてますよね…?」

私は顔を逸らしながら答えていた。

「な、なんのこと?」

声が上ずった気がするが、そんなことはどうでもいい。
私だと分かっていた事に驚いた。

「忘れてないですよね?だから、俺に会った時に固まったんですよね」

彼が一歩ずつ近づいてくるのと同時に私は後ろに下がっていく。

「あ、あの…今、勤務中…」

「誤魔化さないで…あの日、勝手に帰って…連絡先も置いていかないで…」

私のお尻にはテーブルが当たり、後ろに下がれない。

「あなたこそ…あそこのマスターでしょ?なのに…どうして、うちの会社に…」

「あれは…学生の時にやってたバイトで、社会人になってからもたまに手伝ってて…ここに転職したのはたまたまですが…」

話しながらも近寄ってくる彼。もう顔は私の目の前だった。

「もう名前も、身元も分かってるから逃げられないですね?やっと見つけたんですから」

「い、今は勤務中…だから…ちょっと、待って~」

今後の仕事、ちゃんとできるかな。

Fin.

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