力強く繊細な指でもう一度愛を奏でて

・作

菜々は小さな島国でツアーガイドとして働いている。別れた夫の元上司であった忘れられない人、慎吾さんがこの島にやってくると聞き、会いたい気持ちに菜々の心は乱されて…。5年前のピアノの音色と一夜だけの関係。慎吾さんは忘れているだろうと思いながら、週末を過ごすために、菜々は海辺のゲストハウスに向かう。

「今日、うちの元支店長が到着するんだけど、菜々さん知ってる?慎吾さんっていう人」

「え?…顔と名前ぐらいなら」

懐かしい名前を聞いて胸が苦しくなる。

金曜日の朝。

成田からの到着便を待ちながら、ガイド仲間の梨花ちゃんとおしゃべりに興じていた。

梨花ちゃんは私の元夫がかつて働いていた旅行会社のツアーガイドで、慎吾さんは別れた夫の上司だった人だ。

「仕事?」

「違うと思う」

「家族は?」

「ひとりみたい」

「なんだ残念…奥さんならよく知ってたのに」

あれからもう、5年になる。

会いたい。

二言三言、言葉を交わすだけでいいから。

素直にそう言えばよかったのに、素っ気ない反応をしてしまった。

「ハーイ菜々、久しぶり」

「ジム!元気にしてた?」

ジムは、市街地から50kmほど離れた海岸沿いにあるゲストハウスのオーナーで、この島では珍しい、きちんと調律されたピアノをバーに置いている。

「たまにはピアノ弾きにおいで。今週末はバンガローも空いてるから、子供たちも一緒に」

「子供は今、パパのところなの。でも行けたら行くね」

「オッケー」

ジムは、ここ数年の間にすっかり老け込んでしまい、ゲストハウスも、売るか人に任せたいとよくぼやいていているので、いつまであのピアノを好きに弾かせてもらえるかはわからない。

待っていた二組のお客さんが思いの外早く出てきた。

送迎車に案内し、後ろ髪を引かれる思いで空港を後にした。

*****

海岸沿いの道を軽自動車でひたすら走る。

ピアノが弾きたかった。

最近弾いていなかったけど、バーのBGMぐらいなら問題はない。

慎吾さんに会うことを期待しているわけではなかった。

仕事上のつき合いもあるだろうし、市街地から離れたあのゲストハウスに泊まってはいないだろう。

慎吾さんは5年前のことなんて、きっと忘れている。

*****

語学留学先で出会った元夫が、南の島で暮らしてみたいと、現地採用のツアーガイドの仕事を見つけてきたので、5歳と2歳の子供たちを連れてこの島に来た。

5年前に一度帰国したものの、上の子が日本の学校に馴染めず、ひとりで子供たちを連れて戻ってきた。

もともと浮気癖のあった夫とは、2年の別居の末に離婚した。

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