無条件幸福 (Page 2)
「二杯目、注ぎましょうか?」
さりげなく、箸とおしぼりと小皿を移動させながら、石野さんが私の隣席に着く。微かに、就業時に嗅いだことのない香りがする。距離の近さを感じ、真横を向けなくなる。
「お構いなく。水と間違えてビールをいただいてしまって。あまりビールは…」
「そうだったんだ。ごめんね、酒豪だなんて言って」
「いえ、好きなので」
貴方の匂いが、とは破廉恥過ぎてとても言えないので、冷静に言葉を継ぐ。
「お酒は」
「こらこら、言いながら俺のビール注いでる。双葉さん、そんな気ぃ使わなくていいから」
「はい…」
緊張と、自分のつまらなさが情けなくて、ついつい空腹のまま、お酒が進んでしまうのを感じた。
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冬を感じる冷気に肌が触れて気持ちがいい。職場の皆とは解散して人通りもない道。一気に自分の鎧が剥がれるのを感じる。
「気持ちいいー」
一人ふらふらと歩く私を、柚香が追って来てくれる。
「待って待って、葵。コート着ないと。風邪ひくよ?」
「柚香を着るーっ!」
お酒の力を借りて大胆に我儘になる傾向が私にはある。柚香は、酔った私の相手をするのは、慣れたもので優しく後ろから抱擁してくれる。
「柚香…いい匂い。石野さんもさぁ、いい匂いだったよ…ねぇ?」
「そう?嬉しいなぁ。俺コートは、いらないか?」
可愛いことを仰る…男の人の声…。
「いるーっ!」
「はい、どーぞ」
ぎゅーっと背中から抱擁される。小さな柚香の身長ではなく背の高い。
「わ!石野さん!…ありがとうございます、幹事お疲れ様でした」
「どういたしまして。楽しかった?」
私は黙って頷く。石野さんの抱擁が和らいで、私の腕を優しく掴み、自分に寄り掛からせる。あ…やっぱり…いい匂い…。
「石野さんに相談したんだけど、葵、ちょっと身体辛いんじゃない?このまま電車乗るのキツいでしょ?」
「大丈夫ですよーぉ」
ケラケラと笑ってみせるけれど、私の足元は覚束ない。
「俺んちね、ここからタクシーで近いのよ。少し休んでいったら?」
石野さんの声に一気に緊張して酔いが覚める。
「や、やや、そんな、いいです、大丈夫です。明日もお仕事でしょうし」
「明日、日曜だよ?俺のことも休ませてよ」
石野さんの笑顔も時々歪む。視界が少しヤバい。あーやっちゃった飲み過ぎた。
「ダメです、そんな、男性のお宅に」
「あ、安心して。三浦さんも一緒だから」
「葵のこと、心配だから。なーんてね。実は飲み足りなくて!あ、タクシー!」
柚香が手を挙げてタクシーを止める。
「すごっ。俺は寝るけどね」
石野さんがタクシーの助手席に滑り込む。行き先を告げる声も明晰で、自分だけがふわふわと酔っているのが恥ずかしい。
「はーい、寝てください」
後部席の右手に腰掛ける柚香が、私にもたれていいよ、と肩を示し、私はそれに甘えてしまう。
石野さんと柚香の軽快な会話が遠く心地よく響く。タクシーは閑静な住宅街に辿り着く。石野さんの逞しい腕にすがりつきながら、私の記憶はそこで途切れた。
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とてもえっちでよかったです
まつばやし さん 2021年3月10日