雨宿りはコーヒーの香りと共に
英子は付き合っている彼氏がいたが、5年目の記念日に振られてしまう。行きつけのバーでマスターの湯沢に泣きついている間に「抱いて」と勢いで言ってしまった英子だったが、湯沢は特に否定することなく自分の家に英子を連れて帰り、二人はベッドの上で――……。
「マスター、私を抱いて」
私、宮本英子、25歳。
付き合って5周年という記念日に彼氏から別れを切り出され、行きつけのバーのマスターに泣きついている。
マスターの湯沢さんは、記念日の食事の後に彼氏を連れていきたいと言ったら、休業日だというのにわざわざ私のためにお店を開けてくれたいい人。
顎髭のあるナイスミドルな湯沢さんは私が号泣してお店を訪ねると、温かいミルクを出して出迎えてくれた。
そのまま私は今までの思い出話とか振られたショックとかをべらべら話しまくったんだけど、全部黙って聞いてくれた本当にいい人。
だから思わず勢いで、抱いてほしいなんて言ってしまった。
湯沢さんはもちろん返事はせず、黙ったまま。
ああ、一日で二つも居場所を失うなんて悲しすぎる。
一つは完全に自業自得なんだけどさ。
「……すいません、変なこと言っちゃって。帰りますね。ホットミルクごちそうさまでした」
財布を取り出しつつ帰ろうと立ち上がったけど、湯沢さんはそれでも何も言わないし、動こうともしない。
口元に手を当てて、何かを考えているようだった。
「……マスター?」
「……英ちゃん」
少ししてから、やっといつもの低い声で私を呼ぶ。
座っている湯沢さんは私を見上げつつ、頬杖をついて言った。
「俺んち、いこ」
「は」
突然のことすぎて変な声が出た。
「店閉めるからちょっと待ってて。ああ、金は要らないから。俺の奢り」
そう言ってエプロンを外しながらカウンターの奥に消えた湯沢さんの後ろ姿を、ぽかんと見続ける私。
まずいことになった。
いやまずくはないんだけどさ。
湯沢さんのことは前々からかっこいいと思っていたし。
そうじゃなくて。
湯沢さんはそれでいいの?
失恋して自棄になってる女が抱いてくれって言ったら本当に抱いてくれるの?
悶々としながら待っていると、湯沢さんが戻ってきた。
私服のジャケットに身を包んだ湯沢さんは、大人の色気が出ている。
「あ、あの、マスター」
「今更やっぱりさっき言ったのはなし、はダメね」
先手を取られてしまった。
湯沢さんに手を引かれ、一緒に外に出る。
外は私の気持ちと同じようなどんよりとした天気。
止まらない涙を表しているかのように雨が降り続いていて、あえて濡れたくなった。
でも湯沢さんは先に私を車に乗せてくれて、その後に運転席に来た。
出発すると、よく見知った街を走り抜けていく。
ふとさっきまで彼氏と――いや、元カレと――一緒に食事をしていたお店が目に入った。
大事な話があると言われたら、そろそろ結婚かなって思うじゃない?
それが他に好きな人ができたから別れてほしいだなんて、悲しすぎるよ。
自然とまた涙が出てきて、ぐずぐず言ってると湯沢さんがティッシュを差し出してくれた。
「もうすぐ俺んちだから」
「……はい」
やっぱり行くんだ、湯沢さんの家に。
毎回楽しみに拝見させていただいております。今回もとてもえっちでよだれを垂らしながらドキドキして読ませていただきました。湯沢さんの熱意に答えるように身体から心が繋がる英ちゃんがたまらなく好きです。また次の作品もひっそりと楽しみにしています。
犬好きの匿名 さん 2020年7月7日