怖いオトコに濡れる夜 (Page 3)
「社長」
「はい」
「あなたが女をトロフィー扱いするつもりがないことはわかりました」
「トロフィー、ね」
「多いですよ、欲しがる男って」
笑いもしない私の言葉に苦笑する。
「…なるほど、先生も苦労されてるようだ」
「でも夫はそうじゃなかった」
グラスを傾けようとしていた社長の手が止まった。ようやく本題に入れた私は、残っていたアイスティーをぐいっと一気にあおった。
「結婚、されてるんですか」
「してた、です。同じ事務所の先輩でした」
「…」
「自分よりも能力が低くあって欲しいと男に望まれることに、当時私は疲れていて。でも夫は違ったんです。何もかも。何が好きで休みの日に何をしているかなんて、どうでもいいことをとても楽しそうに聞いてくれました。何一つ卑下することなく。彼は、私を貶めようとしなかった初めての男性だったんです」
「…素晴らしい方だったんですね」
「ええ。だから結婚しました。でも…すぐに難しいことになったんです。事務所内でお互いの成績を比較されるようになって」
ため息をつく。
「それはもう日常会話のように。それで結局、私から申し出て離婚しました。好きな相手を傷つけている現実に目を向けられなくなったので」
「…お二人で、事務所を辞めるという決断は?」
首を振る。
「手遅れでした。彼は仕事ができないほどになってましたから」
「では…今は?」
恐る恐るといった声音にクスッと笑う。
「二年前から別の職場で復帰していて、先週電話をくれました。最近は恋人もできたことで、ようやく前向きになれたと」
それは本当に嬉しいことだった。笑顔で話してくれる夫の声を電話越しに聞いて、久しぶりに髪を切ろうかと思うくらいには。
「それはよかった。…では、先生自身は?」
切り込んでくる社長に一瞬口をつぐんだ。
「恋人を欲しいとは思わないんですか」
目を伏せた。
「相手を傷つけることにはもう耐えられません」
夫ほどではなかったけど私も追い詰められた。家でも職場でも逃げ場を無くして、最後は苦しいだけだった。
「いいえ先生。違いますよ」
キッパリとした、でも優しげな社長の声。
「ご主人の自尊心を傷つけたのはあなたじゃない。先生だって本当はわかっているでしょう?」
あなたのせいじゃない。そう繰り返す社長に、笑おうとしたがうまく笑えなかった。胸の奥深くに残っていた傷口に響いたせいで。
言葉に込められた熱は傷をうずかせたが、優しく慰撫してたような気もした。
「俺なら大丈夫ですよ。最初からあなたに全て捧げますから。自尊心も何もかも」
手を取られていた。いつの間に。左手をキュッと緩く握られる。
「その代わりあなたが欲しい」
そのまま口元へと持っていき、薬指の先を軽く咥えられてゾクっとする。
何を…。
「…酔って、ますか…社長」
掴む手の力が急に強まって、硬直する。
「なぜつきまとうのかと聞きましたね。…俺はね、傷つけたいんです。誰よりも深く、あなたに深い傷をつけたい」
手がさらに強くなる。
「そう」
口元だけで社長が笑う。
「別れたご主人の話を聞かされた今は、その上から新しい傷をつけてやりたいと思っているくらいには、ね」
何か、ヤバい気がする。笑顔がいつものと違っていた。
「篠原先生、ずっと俺のことを警戒してたでしょう。気付いていたんですよね、俺のコレに。胡散臭そうな目であなたに見られる度に、早く教えてあげたかった」
「コレって、なん…ですか」
社長が口から指を離して私の耳元に寄せた。ふ、と吐息が触れる。
「サディストなんです、俺は」
呼気だけのひそめられた無声音。鼓膜を伝って、言葉が脳にまで響く。
サディストって…。どういう意味。
それって、つまり。
何か言おうとしたけど声は喉から出ていかなかった。
「先生に会った瞬間分かりましたよ。誰かに罰せられ、傷つけられたがっていると。あなたは本来傷つける側の人間じゃない。ご主人とうまくいかなかったのはしょうがありません」
また唇が指をとらえる。今度は歯で。指の肉をかじられる恐怖感がそのまま下半身にスライドして、ゾクゾクと下腹にまで込み上げてきた。
「そうでしょ?先生」
私を見る社長は今まで見たことのないほど、バランスの取れた笑顔だった。
良い
初めまして。私・某進学校で数学を担当して居ります。忙しい時期ですが元気を貰います。嬉しいです。
国立 さん 2021年9月29日